学生時代~フィリピンへ
私は岡山県倉敷市水島で生まれ、その後、東京都大田区調布嶺町、2歳の時より東京都町田市との境である神奈川県相模原市南区で育ちました。
他の政治家の方の様なきらびやかな経歴などはございませんが、日本を思う心だけは負けていないと思います。
小学生、中学生の時代は一生懸命に柔道をやっておりました。
残念ながら、とても強かったなどと自慢をするには至りませんが、同じ仲間と汗を流したことは良き思い出です。
その後、神奈川県立相武台高校に進みましたが1年生の時に中退、16歳で一人フィリピンに渡りブレントインターナショナルスクール、バギオ大学付属高校そしてフィリピン経済大学(PSBA)と約7年間の学生生活をフィリピンで過ごしました。
私がフィリピンで過ごしていた時の忘れられない経験は、世界で初めてTV中継をされた革命といわれるピープル・パワー革命です。
これは絶対的支配者といわれていたマルコス大統領の独裁政権を倒し、アキノ大統領の民主政権を実現した民衆運動です。
もちろんこれにはフィリピン軍改革派将校のクーデターや米国政府の関与など複雑な要因はありますが、開発独裁を終わらせ大量の市民が街頭に出る事で非暴力により政変を起こす民主革命の先駆となった事も事実です。
帰国~介護、開業
その後は結婚、3人の子宝に恵まれましたが帰国後も海外で仕事をしたいという気持ちも強く、日本での勤務を経て米国領で仕事をしておりました。
父親の認知症の悪化、そして介護疲れの母親の交通事故などがあり日本へ帰国する事となりましたが、その後は強く政治に関心を持つこととなり自身の道を模索しておりました。
先ずはこれからの高齢化社会を迎える日本にとって大きな問題となる介護を自ら経験しようと介護職員初任者研修、実務者研修を終了し認知症対応型グループホーム、サービス付き高齢者向け住宅にそれぞれ1年ずつ勤務を致しました。
思えば常に家業にての仕事や起業をしていた私にとって、初めての就職でした。
その後は最後に子供に残せる事業をと不動産業を長男と開業致しました。
現在、そしてこれから
決して順風満帆な人生ではなく失敗の多い人生でした。
私のプロフィールなどは決して人に自慢を出来るものではありません。
しかし、多くの国民の皆さまの苦しみが分かるようには成長を致しました。
どんな失敗をしたとしても人生は終わりではありません。必ずやり直しがききます。
そんな普通の人にとって何度でもチャレンジができる、何度でもやり直しができる、そういった方々を手助け応援できる政治が必要と思います。
国民の生活と安全は国家の責務、一人たりとも国民を見捨てないのが政治の責務、全ての国民には幸せになる権利があります。
そんな政治を実現するよう努力をしてまいります。